ある40男の京大への道(1) 〜学歴厨夫とFラン妻の往復書簡〜

こんにちは、サバ缶です。
今日は、僕の学習遍歴をご紹介します。
まず記憶にあるのは、幼稚園の頃に母にひらがなを書かせられました。たとえば、ひらがなの「き」を書いたら、大好きだったきな粉餅を食べさせてもらっていました。物で釣る作戦ですね。
小学校に入学すると公文に入れられましたが、束になったプリントの表のページと裏のページだけ解いて、中は空白のまま提出しました。テレビドラマの札束みたいに。感心するのは、それでも先生は何ひとつ文句を言わなかったことです。
ほどなく小学3年生から、飯田橋にあった小規模の学習塾に行かされました。僕の他には、1人男の子がいるだけでした。当時はバブル期だったこともあって、遠縁にあたる社会人になったばかりの親戚から何度も貰った1万円の図書券を塾の帰り道にある本屋に寄ってすべて鳥山明の「ドラゴンボール」の単行本に費やしました。お釣りが現金でもらえるのもおいしかった。
それと男の子とゲームボーイのカセットを貸し借りするのも楽しみでした。
高学年になると、母親が中学受験を勝手に意識しだし、今はなき桐杏(とうきょう)学園というガチの受験塾に入れられました。覚えているのは、ひたすら長い授業と一回だけ集中しようと決めた理科の授業の単元の模試で成績上位者に名前が載ったことです。それで身を入れて勉強をしたかと言えば、逆に「こんなに集中したら身がもたない」と思い適当に授業を聞き流すことに決めてしまいました。
僕は桐杏学園は嫌ではなかったのですが、池袋に弁当を持って夜10時まで通わせるのが、母の良心を痛めたのか送迎が負担だったのか単に僕の成績が悪かったのか真相は分かりませんが、結局1年も経たずに辞めさせられました。
申し訳ないけれど、続きます。
ではFラン妻からの質問です。

質問3(Fラン妻)
「子どもが塾を嫌がったら、無理に行かせない方が良いですか?」
回答3(サバ缶)
「行かせない方がマシでしょう。塾は星の数ほどあるので潔く転塾して下さい」

今日の一言
長い文章を書いてすみません(疲れた)。
読んで下さった方に、本当に感謝です(1人くらいはいるよね、ね!)

追記
サバ缶に、質問があるというご奇特な方がいらっしゃったら、ご気軽にコメントください。